外交戦争下の海軍軍備充実計画
駆逐艦の登場
1899年12月、バルカン半島で局地的な紛争が迫っているとの報告が届きました。それに伴って大手兵器製造業者が紛争当事国に武器を輸出したいと願い出てきました。恐らくオーハン随一のあの財閥でしょう。
海軍としては、買いたい人には買わせればいいと発言。予算欲しさでの発言でしたが、これを受けてイギリス・イタリア・ロシアとの緊張度が上昇。やはり君達か。
ここから外務省の長い戦いが始まります。
現在の各国艦艇保有数はこの通り。
仮想敵国であるイタリアとのトン数比は1:1.7、フランスとは1:2.3です。敵勢力に対して50%以上の戦力が無いと戦争をしても敗北する可能性が高いです。前回起工したAdria級装甲巡洋艦が竣工すればトン数比は改善されるでしょうが、伊仏も負けじと建艦しています。すぐに水をあけられることでしょう。
フランスとの緊張度は高くないので良いとして、イタリアとは近い将来戦争をすることになると思います。これまで六六六艦隊を実現させるため大型艦の建造に集中してきましたが、そのせいで駆逐艦を全く建造していません。
小型艇による雷撃は、日々その実用性を向上させています。世界的にも水雷攻撃によって大型艦が沈む日は近いと考えられており、各国で駆逐艦の建造が始まっています。
オーハン海軍も水雷による脅威と可能性を見据えて、駆逐艦の建造を開始しました。
艦名 | Leopard級駆逐艦 |
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排水量 | 400トン |
武装 | 3インチ砲2基2門、水上魚雷発射管2基2門 |
速力 | 27ノット |
建造数 | 8隻 |
本当は30ノットの速力が欲しいですが、この頃の駆逐艦で航続距離を伸ばすと27ノットが限界です。それでも戦艦は18ノット程度なので、追いついて雷撃する分には十分です。
イタリアの同盟攻勢
伊仏同盟
1900年5月、外務省・海軍省に衝撃走る。
イタリアとフランスが同盟を結びました。これによりイタリアと戦争をした場合、フランスもイタリア側で参戦します。
倍どころではありません。4倍です。マックにも倍マックはありますが4倍マックなんてありません。4倍マックが口に入らないのと同じようにこんなの勝てっこありません。
軍備を増強するオーハンにビビッて、イタリアがフランスにすり寄ったのでしょうか。
とにもかくにも、これでは戦争をするわけにはいきません。同盟が解消されるまであの手この手で開戦を避けます。
そう決めた矢先、先日の武器輸出のせいかバルカン諸国間で戦闘が発生。イタリアのせいにするわけにはいかないので、スペインのせいにします。
政府も伊仏同盟にビビッてか、イタリアに譲歩しようとしています。海軍も賛同して緊張度を下げます。
1900年12月、バルカン半島で政治的殺人事件が発生。皇太子ではなかったようでホッとしています。しかしイギリス・イタリアとの緊張度が上昇しました。
御覧の通りイエローラインです。政治的には非友好国となり、何かあれば即開戦もあり得ます。最悪の場合、英仏伊3国に襲われることになり、オーハンは史実よりも早く滅亡するでしょう。滅亡RTAしなくて良いから(切実)。
万が一の開戦に備え、駆逐艦を増産します。
艦名 | Cobra級駆逐艦 |
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排水量 | 500トン |
武装 | 3インチ砲2基2門、水上魚雷発射管2基2門 |
速力 | 28ノット |
建造数 | 30隻 |
Leopard級よりも100トン増加し、速力は1ノット増し。我が国には戦艦2個戦隊・装甲巡2個戦隊・防護巡2個戦隊の計6個戦隊があります。全ての戦隊に駆逐艦を付けたいので、準同型艦含め30隻建造します。これで、前級と合わせて38隻体制にりますから、6戦隊全てをカバーできます。
1901年9月、ドイツに発注していたAdria級装甲巡洋艦1番艦のAdriaが就役しました。しかし、22ノットの設計速力に届かず21ノットに。ドイツ君さあ…。
1901年11月、12インチ砲品質-1の開発に成功。これで他国に引けをとらない戦艦を建造することができます。
1902年1月、海軍予算を増額したらイタリアとの緊張度が危険域一歩手前に。開戦するわけにはいきません。外務省には何としても頑張っていただきたい。(他力本願)
日伊同盟
1902年3月、日伊同盟締結。
イタリアの外務省は頑張っているようです。というよりも、これは日本側から提案したのかな?実は、日本は現在スペインと戦争中です。主戦場はフィリピンだと思いますが、イタリアと同盟を結ぶことでスペイン本国にも圧力をかける狙いがあるのでしょう。
イタリアも同盟国が増えるのは良い話です。実際、オーハンとしては敵が増えて益々面白くありません。
仲間が増えたことで、イタリアが我が国に対して圧力を強めてきました。調子乗ってんじゃねえぞテメエ…。
向こうがその気なら開戦は避けられません。質で勝るように砲術訓練と夜間戦闘訓練を開始します。
1902年10月、ドッグの拡張が完了し、17000トンまでの艦艇が建造可能になりました。イタリアとの戦争に間に合わないかもしれませんが、戦艦を建造します。但し、ただの戦艦ではありません。
艦名 | Tirol(Mähren)級巡洋戦艦 |
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排水量 | 16000トン |
武装 | 12インチ砲2基4門、5インチ砲10基10門 |
速力 | 24ノット |
建造数 | 3隻 |
装甲を犠牲にして巡洋艦以上の速力と戦艦に匹敵する火力を持たせた巡洋戦艦です。オーハンの装甲巡戦力は最下位です。従来の戦艦では装甲巡洋艦に追いつけず、代わりにこちらの装甲巡洋艦が立ち向かっても、数の暴力で薙ぎ払われてしまいます。その結果、敵戦力を削ぐことができずに苦しい戦いを強いられるかもしれません。
そこで、オーハン海軍では戦艦並みの火力と巡洋艦を上回る速力の艦を作り、逆に敵を翻弄してやろうという思想が生まれました。史実でいうなら、前ド級巡洋戦艦でしょうか。
これを3隻建造します。
更に、翌年の3月に12インチ砲品質0が開発されたので、設計を変更し発注しました。運が良いですね。
1902年11月、北欧の強国ドイツとの同盟交渉に臨みましたが失敗。ドイツはイギリス・フランスとの緊張度が高かったので、もしかしたらと思いましたが非常に残念です。
1903年5月、中央射撃装置を発明。欲しい技術の一つです。
我が海軍艦艇のほとんどは射撃装置未搭載でしたので、主力戦艦・巡洋艦に搭載する小規模改装を実施。これで砲戦での命中率も向上するでしょう。
こちらは1904年3月時点での各国海軍艦艇数です。
我が海軍とイタリア海軍との差はトン数比1:1.6。ほとんど縮まっていませんね。6割強の戦力なら勝つ見込みはありますが、それはあくまでタイマンでの話。これにフランスも日本もくっついてきたら敗北は必定です。
どうにかしたいですが、今の国力ではこの予算でも頑張っている方なので、戦争を避けるしかありませんね。
米伊同盟
1904年3月、米伊同盟締結。あ、ふーん。。。
これでイタリアを盟主とする伊仏日米大同盟の結成です。と思ったら、翌月日本がイタリアとの同盟を解消しましたが、日本よりもアメリカの方が脅威です。
冗談抜きで国家存亡の一大事です。
世界を見てみると随分きな臭いですね。特にドイツとイタリア、スペインが複数国から嫌われています。イタリアと戦争をすればフランスとも戦争をすることになりますが、ドイツが参戦してくれると嬉しいですね。
まあ、多分静観すると思うんですけど。
こんな時にまたバルカンが燻ぶっているので、戦争を避ける行動を政府に提案します。
それと新型駆逐艦を設計します。
艦名 | Trabant級駆逐艦 |
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排水量 | 600トン |
武装 | 3インチ砲4基4門、水上魚雷発射管2基2門 |
速力 | 28ノット |
建造数 | 6隻 |
建造中の巡洋戦艦の護衛用駆逐艦です。巡戦が竣工するまでは補充艦として配備します。建造開始から数か月後にスチームタービンが開発されましたので、本級が最後の三段膨張式レシプロ機関を搭載した艦艇になりました。
対伊戦近し
1905年4月、いよいよイタリアとの関係が危険域に。もはや一刻の猶予もありません。全艦艇に緊急動員を発令します。
戦隊編成、艦隊編成はこんな感じ。
第1艦隊 | 戦艦6隻・装甲巡6隻・防護巡6隻・駆逐艦38隻 |
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第2艦隊 | 旧式戦艦7隻・コルベット10隻 |
第3艦隊 | 仮装巡洋艦2隻・沿岸潜水艦4隻 |
オーハンの主力は六六六艦隊です。シュテルネック提督の意志を引継ぎここまで来ました。その他、通商護衛用の第2艦隊、通商破壊用の第3艦隊がいますが、まともな戦力を有しているのは第1艦隊のみです。
もっと戦力を増強したいですが、これでも無理に建艦をしていて国内不安度は既に4に達しています。半年以内に巡洋戦艦3隻が竣工しますので、増強はそれが済んでからですね。
1905年8月、イタリアがリビアを占領。巡洋戦艦の配備を優先し、我が国は特段反応しませんでした。
1905年10月、またバルカンで問題が起きましたので、国際平和会議が開かれましたが、得るものなく終了しました。我が国としては、緊張度が上がらなかっただけ上々です。
1906年1月、戦時に備え損失艦代替用の駆逐艦を設計。
艦名 | Veglia級駆逐艦 |
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排水量 | 600トン |
武装 | 3インチ砲4基4門、水上魚雷発射管2基2門 |
速力 | 31ノット |
建造数 | 6隻 |
我が国初のスチームタービン搭載艦です。新機関のおかげで31ノットの速力を発揮可能で、遂に30ノットを突破しました。
更に翌月、両舷に10インチ以上の砲塔を搭載可能になりましたので、我が国初のド級戦艦を設計します。
艦名 | Kronprinzessin Erzherzogin Stephanie級戦艦 |
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排水量 | 19000トン |
武装 | 12インチ砲5基10門 |
速力 | 21ノット |
建造数 | 1隻 |
名前が長いのでステファニー級戦艦と呼称しますが、12インチ砲を5基10門と従来型戦艦の倍の火力を発揮でき、速力も20ノットを超える大型艦です。航続距離が短く居住性も劣悪ですが、作戦海域がアドリア海と地中海なので長期の作戦行動は想定していませんから問題ないでしょう。
本音を言えば複数隻建造したいですが、開戦が近いことと予算が乏しいため1隻のみ起工します。
1906年6月、イタリアのスパイを見つけました。開戦になった場合情報が筒抜けになりますのでとっ掴まえてイタリアを非難しました。
そうなると分かってはいましたが、いよいよイタリアとの緊張度が天井を突き抜けました。戦争がいつ始まってもおかしくありません。潜水艦の毎月建造を開始します。
天祐我にあり
1906年6月、とても良いニュースです。フランスとイタリアが同盟を解消しました。リビア占領からこの方のイタリアの傍若無人ぶりにフランスも嫌気がさしたのでしょう。これで戦いが非常に楽になります。
1906年8月、海軍情報部よりイタリア海軍の戦闘艦が稼働状態に入っているとの報告が入りました。彼らの威圧的な行動は許せません。と言いつつオーハン海軍はずいぶん前から全艦艇を動員しているんですけどね。戦闘訓練なんか4年前からやっています。
フランスがイタリアから離れた今、時が来ました。
閃光の如き速さでイタリアに反省を促すダンスを送り付けます!
イタリアはそのお返しにロドス島に軍隊を派遣。
話聞いてたんかお前ら?いや、きっとあのダンスだけでは物足りなかったのでしょう。イタリアさんも欲しがりですね。
オーハン政府はイタリアに最後通牒を出しました。
出しはしましたが、現状ではイタリアの方が優勢ですし、きっと無視して占領するに違いありません。
と思ったら、イタリアはロドス島から撤退しました。オーハンが強硬な態度に出ると思っておらず驚愕したのか、戦争時に補給線が伸びるのを嫌ったか。
なんにせよ、ロドス島の主権は保たれました。オーハンとロドス島の関係は末永く続くでしょう。
1907年1月、イタリアのロドス島撤退で戦争が避けられたかに思いましたが、またもやイタリアのスパイが見つかりました。もちろん最大限に避難したところ、
遂に墺伊戦争が勃発しました。
最初のバルカン問題から実に7年。外務省の頑張りは勲章ものでした。この7年の間に海軍は戦力を整えました。ここからは海軍の出番です。