Rule The Waves3 オーハン海軍奮闘記

【Rule The Waves 3】オーハン海軍奮闘記 第5回

墺伊戦争

1907年1月、墺伊戦争勃発。イタリアによる積年の圧力に対する正義の戦いがついに始まった。開戦の報はオーハン海軍人を喜ばせ、オーハン海軍の士気は最高潮に高まった。

ここで、イタリアとの戦力比を見てみよう。

これは1906年10月、つまり開戦3か月前のものである。

トン数比で見るとイタリアとの差は1:1.2まで縮まっていた。装甲巡戦力では予想通り劣勢であるが、戦艦数はほぼ同数、防護巡は上回っている。

米伊同盟は依然健在であるが、墺米関係も悪くはない。米国は後々イタリア側で参戦するかもしれないが、果たして地中海まで主力艦を送ってくるだろうか。そうは思えないが、たとえ送ってきたとしても、それまでにイタリア海軍の主力艦を潰せば良いのだ。

艦隊の練度についても、オーハン海軍は数年前から稼働状態を保ったおかげで最高の状態にある。イタリア艦隊は強大な敵であるが、オーハン海軍に敗北の二文字は無かった。(語り)

戦争開始のタイミングですが、砲塔の梯形配置が可能になりましたので巡洋戦艦を設計しました。

艦名Steiemark級巡洋戦艦
排水量20300トン
武装12インチ砲4基8門
速力28ノット
建造数1隻

これも予算の都合から1隻だけ起工します。前級より4ノットも速い28ノットの高速艦です。そして、オーハン海軍史上初の2万トン越えの大型艦でもあります。

戦争には間に合いませんが、将来の主力となるでしょう。

海上封鎖解除作戦

ここでオーハン艦隊を見てみましょう。

【オーハン海軍艦隊編成 1907年】

第1艦隊戦艦6隻・装甲巡6隻・防護巡6隻・駆逐艦38隻
第2艦隊巡戦3隻・駆逐艦12隻
第3艦隊装甲艦7隻・コルベット10隻
第4艦隊仮装巡洋艦2隻・沿岸潜水艦4隻

巡洋戦艦3隻の就役により、それまで第1艦隊が唯一まともな戦力でしたのが、第2艦隊も有力な戦力として編成することができました。

特にこの第2艦隊は、世界で初めて編成された巡洋戦艦部隊です。装甲巡も追いつけない速力と戦艦並みの火力によって、イタリア艦艇を各個撃破することも可能であり、オーハン海軍の頼れる鉾です。

従来の戦い方には第1艦隊が対応可能ですので、イタリアに対して戦術上の優位は確保できると思います。

ただ、戦力比では劣勢であることに変わりありませんので、暫くの間海上を封鎖されるでしょう。当面はその解除を目指します。

Kap Promontore海戦

1907年1月6日午前10時、Adria級装甲巡洋艦3隻と沿岸襲撃を狙うイタリアの装甲巡洋艦3隻が砲戦開始。

イタリア艦の主砲は8インチ(20.3cm)ですが、こちらは11インチ(28cm)です。単純な砲戦なら相手が先に戦闘不能になります。

予想通り、こちらは3艦とも小破でしたが、敵装甲巡は全て沈没しました。

開戦後、通商破壊のため4隻の仮装巡洋艦を発注しました。

Lissa海戦

1907年3月15日14時30分、またも沿岸襲撃を狙うイタリア艦隊を迎撃。

オーハン海軍の参加艦艇は、戦艦1隻にSankt Georg級装甲巡3隻。対するイタリア艦隊は、戦艦4隻に装甲巡3隻とこちらの劣勢です。

にもかかわらずオーハン艦隊は善戦。

Spalato港のすぐ近くで夜戦をするなど大混戦となりましたが、オーハン艦隊は戦艦1隻と装甲巡1隻を撃沈。撃破艦多数の戦果を挙げましたが、こちらも装甲巡1隻を沈められ、完勝とはいきませんでした。

しかし、敵に大損害を与えたことにより、海上封鎖が解除されました。この隙にサルディーニャ島への上陸作戦を実施します。地理的には無謀ですが、直線距離で考えれば可能です

史実の第一次世界大戦ではオトラント海峡が機雷網で封鎖されましたが、それは連合国だからできたこと。今はイタリアとのタイマンです。イタリア単体ではオトラント海峡を封鎖できませんので何も心配いりません。(道中のシチリアはゲームの仕様上占領できません。まあマフィアもいるし仕方ないですね。)

サルディーニャ島上陸作戦

オトラント海峡海戦

1907年4月22日14時、サルディーニャ島上陸作戦に向けた準備として輸送船の航路となるオトラント海峡をAdria級3隻で威力偵察中に敵装甲巡部隊と遭遇。

オーハンは駆逐艦が2隻沈没するも敵艦7隻の撃沈に成功。Adria級は本当に強いですね。これでサルディーニャ島への航路を確保しました。

Foce海戦

1907年5月17日15時、戦艦4隻・巡戦3隻・装甲巡1隻の上陸船団護衛艦隊がイタリアのサルディーニャ防衛艦隊と接敵。

途中、イタリア艦隊に逃げられそうになるも、巡戦部隊が全速で突撃。24ノットの艦から逃げることはできません。残念ながら夜陰が味方してイタリア戦艦を1隻見失いましたが、残りの3隻を撃沈。サルディーニャ島上陸に成功しました。

上陸作戦後、同盟国の惨状を見かねたアメリカがオーハンに宣戦布告。

海上封鎖も再開されました。まさに間隙を縫う上陸作戦でしたね。

ここで1907年6月時点での海軍戦力を確認します。

この半年でオーハン海軍はイタリア海軍の軍艦多数を撃沈破。トン数比は逆転していますが、主力艦の数ではほぼ同数。彼我の損傷艦次第では封鎖される状況です。

事実、我が海軍の主力艦が修理から復帰すると、今度はこちらが海上封鎖をする立場になりました。

ただ、ここからアメリカ海軍もイタリア側に加わりましたので、もしかしたら戦争終結まで海上封鎖されることになるかもしれません。

少しずつでも着実に敵の数を減らしていきたいところです。

第二次Foce海戦

1907年9月5日正午、サルディーニャ島近海に敵大艦隊出現の報を聞き、上陸部隊支援のため第1・第2連合艦隊が全力出撃。

我が海軍も大きくなりました。なんたる大軍勢。この艦隊の前方には巡戦を主力とする偵察艦隊もいます。六六六艦隊の躍動にシュテルネック提督も天で喜んでいるでしょう。もう負ける気がしません。

海戦は偵察艦隊とイタリア艦隊の主力戦艦3隻が砲戦をする展開になりました。

イタリア艦隊は彼我の戦力差を見て逃走するも、サルディーニャ島沿岸に追い込んで、こちらに有利な形で砲戦を継続。日没時には本体も合流して敵艦隊をタコ殴りにしました。

戦艦3隻・装甲巡3隻を沈めてこちらの圧勝です。開戦の結果、残存するイタリア艦隊は戦艦8隻・装甲巡8隻となり、明らかにオーハン海軍が優勢となりました。

これにて、サルディーニャ島への敵の補給路は寸断。

海軍が陸軍に予算を融通したこともあり、上陸から4か月でサルディーニャ島を占領しました。この間、アメリカからの妨害はほとんどありませんでした。

はて、アメリカはまだ遠征艦隊を送っていないのでしょうか。

インド洋にいました。

どうしたんでしょう。エリトリアの防衛でも任されたんですかね。地中海に派遣されている部隊はわずかです。こちらに忖度してくれているのかもしれません。

イタリア艦隊漸減邀撃作戦

Corfu海戦

1907年10月5日15時30分、イオニア海でオーハン巡戦艦隊と敵連合国艦隊が遭遇。砲戦はこちらの優位に進み、アメリカの装甲巡1隻を停戦に追い込みましたが、追撃中に敵駆逐艦2隻がこちらに突撃。

先頭を走っていた巡戦に魚雷1本が命中。即沈没しました。楽勝だと思っていただけに衝撃的な結果です。最終的には装甲巡3隻を沈めるも判定負け。

オーハン海軍初の負け戦となり、巡戦を失ったことで海軍長官はカイザーからお叱りを受けました。

Pescara海戦

1907年12月4日14時、名誉挽回に燃える巡戦艦隊が米巡戦2隻と遭遇しました。敵艦はイタリアへの退却を図ったため猛追。

港直前で1隻の撃沈に成功しましたが、またもや魚雷1本を喰らいました。幸い沈没しませんでしたが、これも危ない戦いでした。

Capo Rizutto海戦

1908年2月28日、敵の大輸送艦隊がタラント湾に入ったとの通報を受けて全力出撃。

輸送艦隊を守るべくイタリア戦艦6隻がオーハン艦隊に肉薄。至近距離での砲戦でお互い損傷が増えていくなか、先にイタリアの先頭艦が爆発轟沈。

イタリア艦隊の隊列が乱れ、イタリア戦艦が次々と沈没していきます。オーハン艦隊は敵を薙ぎ払いつつ輸送船団めがけて突撃。そのことごとくを撃沈しました。

終わってみれば、オーハン艦隊に沈没艦は無く戦艦6隻・装甲巡3隻・輸送船13隻撃沈の大戦果です。史実日本海海戦にも比肩しますよこれ。国民も大層喜ぶでしょう。

海軍部内も活気に満ちたからか、艦砲開発に力が入り14インチ砲が開発されました。中小国でこの年代での開発はペースが速いですね。戦争終結後に建造する戦艦を史実のテゲトフ級のような12インチ12門艦か金剛級のような14インチ8門艦かで悩んでいましたが、後者を建造することにします。

まさかの和平

1908年12月、何度か海戦がありましたが、単艦や小艦隊を襲うばかりで目立ったものが無いのとこちらが優位な状況が続いているため割愛。ステファニー級戦艦が間もなく完成しますので新型駆逐艦を設計します。

艦名Warasdiner級駆逐艦
排水量900トン
武装4インチ砲3基3門、水上魚雷発射管2基2門
速力32ノット
建造数12隻

900トンまでくると様になってきますね。戦艦の進化も速いですが駆逐艦も開発スピードが速く500トン級はあと数年もすれば完全に旧式化します。次期主力駆逐艦として12隻建造します。

1909年1月、ステファニー級戦艦が竣工。第1艦隊旗艦にしますが、果たして出撃の機会はあるでしょうか。

戦力比は見ての通り。

1909年3月時点で、イタリアとのトン数比は3:1。アメリカがド級戦艦を派遣すれば艦隊決戦も生起するでしょうが、現状は数隻の巡戦を逐次投入するのみで、艦隊決戦をしたがっているようには見えません。

1909年6月、敵から和平の使者が。領土割譲も賠償金も無しで講和をしてほしいそうです。ふざけてるのかな?

戦勝点はこちらが4万点も優勢なのに何とも上から目線。もちろん突っぱねます。

は???まさかの合意。外務省君さぁ・・・。

これまでの戦いはいったい何だったんですかね。国内不安度もまだ2ですので、国民が希望しての和平では無いと思います。ウィーンで焼打ちが起こりますよ(震え)。

まあ敢えて理由をつけるとするなら、きっと陸戦が劣勢だったのでしょう。サルディーニャに戦力を割いた分、大陸の方で問題があったとか。

イタリア陸軍にそんなことができるとは思えませんので、アメリカ陸軍による支援があったのかもしれません。地中海からでなくても北欧からなら、輸送量に限りがあるとはいえいくらでも支援物資を送れます。

そういった海軍外での状況は分かりかねますのでどうしようもありませんが、これにて2年半続いた戦争はお終いです。

とても納得いきませんが、このツケは数年後必ず払わせます。

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