航空戦力の登場
艦隊再編
1917年1月、フランス戦終了に伴い旧式化したRadetzky級戦艦3隻を廃艦。シュテルネック提督の忘れ形見であり、イタリアとの戦争では主力となりましたが、前ド戦艦はもはや骨董品です。封鎖値も軽巡並みに落とされていますので、これからは使い物になりません。本当はフェルディナントマックス級も解体したいのですが、「戦艦が4隻未満になる!」と政府から苦言を呈されたのでもう少しの間残します。
六六六艦隊の艦艇が廃艦となり始めましたが、シュテルネック提督の先駆的な艦隊計画はオーハンの戦勝に貢献しました。シュテルネック没後20年に合わせ、カイザーは彼の功績を高く評価しシュテルネック卿を創立。
血族が継承する家としての貴族制度ではなく、海軍長官の箔をつける称号となりました。
さて、政府の批判をかわすため(口実)、早く戦艦を補充せねばいけませんので戦艦を建造します。
艦名 | Arpad級戦艦 |
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排水量 | 29000トン |
武装 | 16インチ連装砲3基6門、5インチ砲16基16門 |
速力 | 25ノット |
建造数 | 2隻 |
戦争中に傾斜装甲を実用化したため、Budapest級から装甲厚を減らして軽量化しました。16インチ砲艦が3隻揃えば前ド戦艦を全て廃艦できるでしょう。
起工前に機関ダメージ軽減装置が開発されたので搭載されたものを発注します。
更に、機関の旧式化したMähren級前ド巡洋戦艦を改装します。
艦名 | Mähren級航空母艦(CVL) |
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排水量 | 16000トン |
武装 | 4インチ砲6基6門、艦載機30機 |
速力 | 24ノット |
同型艦 | Banat |
飛行甲板が実用化されていましたので軽空母に改装します。ゲームの仕様上、排水量16000トン以下で艦載機が34機以下であれば軽空母に分類されます。
大型空母にはまだ改造できませんが、軽空母なら改造できるので将来を見据えて改造します。航空機の活躍する時代が来れば再び第一線で活躍するでしょう。
オーハンの外交政策と海軍
1918年1月、モザンビークで内乱が発生。アフリカ大陸の南にありますが、ダメもとで遠征軍を派遣したところ占領に成功。地中海外で初の植民地を獲得しました。
1918年5月、政府は戦争を懸念していたのでドイツとの同盟を提案したところ、無事同盟締結。ドイツとはぶつかる所がなく、オーストリアと同じドイツ民族であり、英仏の艦隊をくぎ付けにしてくれる頼もしい味方です。
1918年6月、最後に駆逐艦を建造してから5年も経っていますので、新型駆逐艦を設計します。
艦名 | Tiger級駆逐艦 |
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排水量 | 1500トン |
武装 | 5インチ砲3基3門、水上魚雷発射管3基9門 |
速力 | 33ノット |
建造数 | 12隻 |
4連装魚雷発射管が既に発明されていましたが、それに気づかず3連装で設計してしまいました。しかし、9門の投射量は凄まじいので戦力的には無問題です。準同型艦と合わせて12隻建造します。
1918年9月、オーストリア、ダルマチア、サルディーニャ各地に飛行場建設を下令。飛行船基地は作りません。
1918年10月、英仏同盟締結。
先日の独墺同盟に刺激されたのでしょうか。詳細な理由は分かりませんが、フランスと戦争をしては最強の海軍であるロイヤルネイビーもくっついてくるので、オーハンもただでは済みません。対イタリアに的を絞りましょう。
1919年4月、MTBを開発しMTB基地を建設可能になりました。地中海各根拠地に2部隊設置します。
1919年9月、世界に先駆けて軽空母の保有に至ったオーハン海軍ですが、空母戦力2隻で果たしてまともな戦果を挙げられるであろうか議論になりました。
海軍史家の中には、この時の会議を時代の転換点と言う者もいます。
会議では空母戦力に関する議論が紛糾し、空母2隻とするか3隻とするかで意見が対立。大艦巨砲主義者としては戦艦を空母にされた経緯があるため、空母は2隻で十分と主張。航空主義者としては軽空母2隻では艦載機数に不足があるとして新型空母の建造を猛烈に主張しました。
この議論は両者一歩も譲らず停滞。業を煮やした時のシュテルネック卿が空母3隻体制を支持したため、オーハン海軍は新造空母の設計を開始しました。
艦名 | Falke級航空母艦(CVL) |
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排水量 | 13600トン |
武装 | 6インチ砲8基8門、艦載機32機 |
速力 | 25ノット |
建造数 | 1隻 |
Falke級とMähren級の計3隻がそろえば100機近い航空機を運用可能であり、それだけの戦力を用意すれば、航空機の実力を測れるでしょう。
なお、この時の各国海軍戦力はご覧の通り。以前にボコったイタリアは完全に立ち直っており戦艦12隻を保有しています。フランスについては先の戦争でまともにやりあっていませんが、イタリアよりも戦力が劣っています。
対する我が国の戦艦は8隻。前ド戦艦は間もなく廃艦にするので数えていません。軽空母に改装しなければ10隻でしたが、それでも数で劣っています。
しかし、その内6隻は14インチ以上の超ド級戦艦で、16インチ砲搭載艦を保有しているのはオーハンのみです。
質の面では各国を凌駕しているでしょう。
しかし、イタリアは軽巡洋艦を10隻も保有しています。オーハンも8隻を保有していますが、うち6隻は防護巡です。そのため、軽巡を新たに設計します。
艦名 | Venus級軽巡洋艦 |
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排水量 | 4900トン |
武装 | 6インチ砲4基4門、水上魚雷発射管2基6門 |
速力 | 30ノット |
建造数 | 3隻 |
割愛しましたが、フランスとの戦いで軽巡の脆弱性が明るみに出ていました。巡洋艦戦の場合、軽巡洋艦が陣頭に立つことが多いのですが、弾受けしようにも装甲が貧弱なのですぐにやられてしまいます。
損失しやすい軽巡を高性能化してもコスパが悪いので、駆逐艦の拡大版のような設計にしました。
1920年6月、予算に余裕ができたので戦艦を設計します。
艦名 | Radetzky(二代目)級戦艦 |
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排水量 | 35000トン |
武装 | 16インチ砲4基8門、5インチ砲16基16門 |
速力 | 25ノット |
建造数 | 1隻 |
大艦巨砲主義者の多くが前級の3砲塔では命中率が芳しくないとして、4砲塔戦艦の建造を切望していました。予算の都合上、どんな性能の艦であっても1隻作るのが精一杯なので、十分な性能を持つ戦艦の建造が承認されました。
また、それならばいっそのこと旗艦としての機能も持たせることとなりました。
ラデツキーの艦名は2代目で、念願だった16インチ砲4基8門の戦艦です。竣工した暁にはオーハン海軍の総旗艦として活躍してもらうつもりです。
1920年10月、コルベットの旧式化が目立っていたのと対潜水艦装備の開発にめどが立ったので駆潜艇を設計します。
艦名 | Conte Stümer級駆潜艇(KE) |
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排水量 | 900トン |
建造数 | 6隻 |
同時に掃海艇も設計。
艦名 | Emma級掃海艇(KE) |
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排水量 | 1100トン |
建造数 | 6隻 |
近年機雷と潜水艦の脅威が高まっています。主力艦ではありませんが、帝国の海運を護る専用艦の建造は最優先事項です。この12隻ならきっと勤めを果たしてくれるでしょう。
1920年12月。久しぶりにバルカンで戦闘が発生しました。
艦隊の整備はこの1年で完了しますので、イタリアのせいにして緊張度を上げます。
更に1921年6月には我が国の武器輸出企業がバルカン諸国に武器を輸出したいと申し出があったので承諾します。
戦禍が拡大してもオーハンの仕業ではありません。なぜならイタリアのせいにするからです。とんでもない極悪ムーブですね。
1921年7月、イタリアとの緊張度はイエローですが開戦近しということで空母・飛行場に航空機を配置し、砲撃訓練とダメコン訓練を開始します。
1921年9月、バルカンの同盟国が隣国に脅かされているとのこと。
その隣国はイタリアからの援助を受けているに違いありません!()
無条件に同盟国をバックアップします。
これでイタリアとの緊張度が上がると思いましたが、上がったのはロシアとフランスでした。(あんたらが真犯人かい?)
1922年1月、Radetzky級戦艦以外の建造が完了目前となり、全艦艇に緊急動員を下令。その情報をキャッチしたのか、このタイミングで伊露同盟が解消されました。この世界線のロシア外交上手すぎでは?
1922年12月、両国とも戦争準備を完了し、第二次墺伊戦争が勃発しました。
今度こそ叩き潰します。