艦隊再編と次の戦争
イタリアとの戦争が終わった1938年7月から再開です。
先の戦争はこれまでの戦争とは異なるものでした。これまではどの国家も戦艦を建造して敵艦隊を殲滅することを目的に海軍を増強していましたが、高速の巡洋艦や潜水艦の大規模展開。これにより、生活水準の高度化により物資輸送を阻害し内部から敵国を攻撃するドクトリンが採用されるようになりました。
これ以降の時代に低速艦は輸送船団の直掩以外で役に立つことはありませんし、高性能航空機の出現により燃費の悪い護衛艦は必要が無くなりました。通商破壊にしても水上艦は航空機による攻撃が脅威となったので、水上艦による通商破壊も効果的でなくなります。そのため旧式艦を廃艦にします。
旧式艦の廃艦
ステファニー級戦艦
オーハン初のド級戦艦ですが、一度も放火を交えることなく廃艦となりました。しかし、その大砲は輸送船団の盾として平時には練習艦として機能し、広がるオーハンの補給線を支え続けました。その活躍ぶりに注目する人は、名前が長いことによる覚えにくさも相まって少ないですが、オーハン海軍士官の記憶に刻まれているでしょう。
Adria級装甲巡洋艦
海軍の初期計画六六六艦隊により建造されたAdria級ですが、敵よりも優れた火力と優秀な速力により同格以下を蹂躙。3隻全てが残存しました。黎明期のオーハン海軍を支え、その後も海域制圧や通商破壊と縦横無尽の活躍をした功労艦です。
Helgoland級防護巡洋艦3番艦Jupiter
Helgoland級防護巡洋艦は近代海軍初の設計艦です。その3番艦Jupiterは1892年に就役し、40年以上に渡って活躍し続けました。しかし、設備のいたるところが老朽化していますので、流石に廃艦にします。
新造艦の建造
艦名 | Salamander級駆逐艦 |
---|---|
排水量 | 1800トン |
武装 | 5インチ両用砲4基8門、魚雷発射管4門 |
速力 | 33ノット |
建造数 | 18隻 |
数不足となった駆逐艦戦力の補強且つ省コストの両方を実現すべく魚雷発射管を1基減らして排水量を1800トンに削減しました。
また1940年1月、海軍長官より巡洋艦6隻の建造を命じられました。旧式艦の廃艦により巡洋艦戦力が不足していましたので、命令を受諾します。
艦名 | Aspern級軽巡洋艦 |
---|---|
排水量 | 7800トン |
武装 | 6インチ三連装砲4基12門、魚雷発射管2基8門 |
速力 | 32ノット |
建造数 | 6隻 |
砲戦力を重視して6インチ砲を可能な限り搭載しました。また、省コストを考えて排水量を7800トンと抑えめにしました。
航空機を配備すれば予算は簡単に赤字となります。これからは益々予算のことを考えなければなりません。
補助戦力の整備を完了し次第主力艦を建造したかったのですが、時勢はそれを許しませんでした。
フランス、お前もか
1939年1月、イタリアが今度はアルバニアを占領。イオニア海の制圧を断念したイタリアは、今度はオトラント海峡の制圧に乗り出したようです。オトラント海峡が制圧されることはよろしくありませんが、既にギリシャを領有し制圧を解除することは容易になっています。アルバニアの政権も不安定になっているので、次期戦争での獲得のためここは見逃します。
1940年12月、今度はフランスが配置を欲しがってきました。ハイチはカリブ海の島で地中海とは何の関わりもありません。威信を下げたくもないので多国籍軍を派遣を提案しましたが、フランスは無視してハイチを占領しました。
1941年3月、アフリカに砲艦を派遣しフランスとの緊張が高まりました。
1941年8月、空母Pragが正体不明の潜水艦に雷撃されました。撃沈命令を出したところ伊仏との関係が悪化。フランスとの緊張度は危険域に突入しました。
こいつら過激すぎませんか?
航空隊を配備し一部艦艇の動員を開始します。
1942年3月には軽巡が竣工し始めましたので全艦艇を動員します。
1942年4月、フランスでファシストが政権を獲得。
フランス、お前もか。
1942年7月、フランスがオーストリアに宣戦布告。墺仏戦争が勃発しました。
仕方がありません。コルシカ島への上陸作戦を準備します。
【オーハン艦隊 1942年】
フランスには戦艦1隻と軽空母4隻、重巡洋艦10隻、潜水艦90隻の戦力がありイタリアと同様に主力の決戦を避けて戦うドクトリンのようです。機動部隊戦では十分勝てるかと思いますが、水上戦は分かりません。オーハンの戦艦5隻は近代化改装を実施できておらず、速力の低下が発生しています。
戦闘に満足に参加できなければ戦力とは言えません。巡洋戦力はフランス側が優勢であり、夜戦等でこちらの戦力が削られる恐れがあります。
その点に用心していきます。
開戦の翌月、アメリカがオーハン側で戦争に参加しました。
どうしたんでしょう。自国の船でも沈められたのでしょうか。
コルシカ島上陸作戦
1942年10月1日、コルシカ島上陸部隊が出撃。
日の出とともに敵前衛部隊と接敵。砲戦を開始します。
敵に巡戦が1隻いますが、Lissaでは相手にするのが難しいので、まず重巡4隻を囲んで殴ります。
その後敵巡戦を追いかけますが、度々空襲を受けて有効打を得られません。
オーハン機動部隊も攻撃隊を送りますが、攻撃が成功している感触がありませんでした。
そのまま戦闘終了。敵重巡4隻を撃沈したものの戦艦・空母は健在で海域を掌握することができませんでした。そのため上陸部隊を陸揚げできず退却しました。
これからは天候が悪くなるので、地中海での上陸作戦は延期。Prag級空母1、重巡1、駆逐艦6隻をインド洋に派遣してマダガスカル島上陸作戦を準備します。
1942年12月、敵首相が総力戦演説を行いました。のぞむところです。
フランスが意気込んでいるその間に、オーハン軍はマダガスカルに上陸しました。続いてコーチシナ上陸作戦を発動します。インド洋派遣艦隊は東南アジアに移動、インド洋には同規模の艦隊を派遣します。
1943年2月にはコーチシナへの上陸も開始しました。
更に4月には2回目のコルシカ島への上陸作戦を発動しましたが、今度は抵抗すらありませんでした。
敵は巡洋艦を護衛につけて夜間に輸送船団を送ったり襲撃してきたりしますが、それ以上のことはしてきません。やはりフランスは現状を変更するだけの戦力を保有していないようです。
1943年6月、オーハン軍はコーチシナの占領に成功。インドシナ獲得の足掛かりを得ました。
1943年7月、世界各地で攻勢されていることに耐えかねたフランスが降伏。
コンゴ・ニューカレドニア・ポリネシアを獲得したところで、今回はここまで。