伊仏同盟との四十年戦争
第四次墺伊戦争が終結した1947年6月から再開です。
史実の第二次世界大戦は既に終わっており、海軍的には戦艦の優位性が低下して空母の時代へと完全に流れが変わりました。ハイテク技術の進歩も著しく、海戦は何が起こるか分からない未知数の出来事からひどく合理的で画一的な事象になります。
つまり、これからの主力は空母・駆逐艦・潜水艦です。そして、空母を叩けるのは空母のみとなります。ゲーム的には潜水艦が撃沈イベントで沈めることもありますが、脅威としてはそれだけです。昼も夜も安定して攻撃でき他を寄せ付けないこの万能艦がこれからの海を支配するのです。
それを護衛するためにコスパの良い駆逐艦や軽巡洋艦のニーズは残り続けますが、戦艦や大型巡洋艦は予算を圧迫する置物に過ぎなくなります。
そう、次第に艦隊編成の幅が狭く単調なものとなり、記事におこして述べるほどのものではなくなっていくのです。また、ゲーム内の世界情勢もとある事件によりその後の構図が決まってしまいました。
1948年12月、伊仏同盟締結。
全てはここから始まりました。オーハンの拡張主義を単独で止められない伊仏が遂に手を組み、その関係は40年もの間続きました。そして、オーハンと実に40年にわたる戦争を繰り広げるのです。
そこで、今回は墺伊戦後のゲーム内における世界の動向、次回にその間の建造艦を紹介し、このオーハン海軍奮闘記を終えようと思います。
第一次地中海戦争
1951年2月~1953年10月
【オーハン艦隊 1951年】
第1艦隊 | 戦艦6隻、軽巡4隻、駆逐艦24隻 |
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第2艦隊 | 重巡2隻、ミサイル巡3隻、ミサイル駆逐艦12隻 |
第3艦隊 | 空母5隻、駆逐艦12隻 |
第4艦隊 | 護衛空母2隻、コルベット多数 |
第5艦隊 | 潜水艦多数 |
ミサイルが初めて実戦投入された戦争です。オーハンでもミサイル搭載艦艇を中心に第2艦隊が編成されました。と言っても、実際に搭載している艦は多くありませんので、ミサイル合戦と呼ぶには至りませんでした。
1950年11月の緊張度上昇からわずか3か月で開戦。この戦争でも序盤の準備が整わず、初戦で敗戦を繰り返しました。
しかし、オーハン海軍は徐々に態勢を立て直し、1952年4月にはアメリカがオーハン側で参戦。更に5月にはドイツも加わりました。
勢いづいたオーハン海軍は6月27日の機動部隊戦に勝利。伊仏による海上封鎖が解かれたため、アルバニアへの上陸作戦を開始。8月に上陸しました。オーハン軍は余勢をかって9月にはマダガスカル、翌年1月にはアナンにも上陸。アルバニア上陸軍も作戦を完遂しました。
まだまだオーハン軍は止まりません。3月にはコルシカに上陸し5月に占領。コルシカ占領の同月にニューヘブリディーズにも上陸しました。
なす術のなくなったフランスは無条件降伏。
フランスの植民地はニューヘブリディーズのみとなり、オーハンの大勝で1度目の地中海大戦が終わりました。
なお、1957年6月に戦艦ラデツキーを廃艦にしようとしたところ、ラデツキーを残すよう嘆願書や寄付金が海軍省に殺到。国民の意を汲んだ海軍は、ラデツキーを記念艦とし保存することを決めました。
墺英戦争
1959年11月~1961年7月
第一次地中海戦争に勝利したオーハンの次の獲物はイギリス領キプロスとジブラルタルでした。この2か所を手に入れれば、親墺国のロドスを含め地中海を完全に掌握することができます。
【オーハン艦隊編成】
第1艦隊 | 戦艦4隻、軽巡2隻、駆逐艦16隻 |
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第2艦隊 | 空母6隻、軽巡3隻、駆逐艦32隻 |
第3艦隊 | 護衛空母2隻、コルベット多数 |
第4艦隊 | 潜水艦多数 |
オーハンは度重ねてイギリスを挑発、半年の準備期間を経て開戦しました。
挑発したオーハンですが、なかなか思うようにはいきません。
先の戦争とは異なり、この戦争ではイギリスもミサイルを実戦に投入しており、ミサイルを持たないオーハン艦艇は接近する前に撃破されてしまいます。
1960年3月12日の海戦では戦艦1隻を撃沈されました。なんとか空母1隻を屠ったものの、オーハンの驕りが表れてしまいました。
1960年5月30日にはジブラルタル上陸作戦が発動。
イギリス海軍撃滅に燃えるオーハン艦隊でしたが、主力艦の撃沈には至らず上陸部隊をエスコートするにとどまりました。
しかし上陸してしまえばこっちのもの。ジブラルタル上陸軍は2か月でジブラルタルを占領しました。
ジブラルタルを失ったイギリスは地中海での停泊地を奥地のキプロスのみに限られました。オーハンは地中海からイギリスを締め出すべく9月にはキプロスに上陸。イギリスも負けじとエリトリア・コンゴに上陸し、12月にはキプロスに上陸したオーハン軍を返り討ちにしました。
オーハンも負けじと3月にキプロス上陸作戦を再度発動。
更に終戦直前の7月16日にはイギリス戦艦を撃沈しました。
これ以上不利になる前にと思ったのか、イギリスは降伏。
オーハンはキプロス・ケニア・イエメンを獲得。イギリスは地中海から完全に退場しました。
第二次地中海戦争(世界大戦)
1966年8月~1969年9月
対英戦で地中海をわが物としたオーハン。それでもなお軍備を拡張しようとするオーハンに対して、伊仏が嫌悪感と危機感を抱くのは当然でした。
1965年11月、何度目か分からない潜水艦による襲撃事件が発生。撃沈命令を出したところイタリアとの緊張度が一気にオレンジまで上昇。
【オーハン艦隊 1966年】
第1艦隊 | 戦艦4隻、軽巡2隻、駆逐艦18隻 |
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第2艦隊 | 空母6隻、軽巡2隻、駆逐艦28隻 |
第3艦隊 | ヘリ空母2隻、コルベット多数 |
第4艦隊 | ミサイル潜水艦多数 |
ロンド・ベル隊() | 空母1隻、軽巡3隻、駆逐艦10隻 |
現代の空母打撃群を参考に、遠征部隊としてロンド・ベル隊()を編成しましたが、そんなお遊びをしている場合ではありませんでした。
イギリス戦の時と似たようなタイミングで動員をかけましたが、今回の相手は伊仏の2国です。前回は航空機の配備が限定的であったのに対して、今回は地中海の広範囲に航空機を配備する必要があります。また、この頃には重ジェット戦闘機の配備が重視される一方で、生産が全く追いつかないため、航空機の配備は遅々として進まないまま開戦となりました。
それに加えて厄介だったのがイタリアの同盟関係です。フランス以外にもスペイン・日本のファシ国家と同盟しており、ファシスト大同盟が完成しています。
日本が参戦すればソビエトとの共闘になりますが、2対4では形成は圧倒的にこちらが不利です。
おまけに海軍戦力はどの国も充実しており、あのスペインですら空母を4隻保有しています。
オーハン海軍はまともな戦力を揃えた仏伊日西4か国と戦うこととなり、この戦争はまさに地獄の世界大戦となりました。(もっとも日ソは既に戦争中で、日本とソ連の主力はずっと東アジアにありましたので、事実上は墺VS伊仏西の戦いです。)
なお、ロンド・ベル隊()は開戦早々に第2艦隊へ吸収されました。
航空兵力の準備不足と連合国の豊富な巡洋艦戦力の前にオーハン海軍は連戦連敗。ミサイル時代には戦艦など叩けば勝利点が出てくるサンドバックに過ぎず、VP差は3万以上にも広がってしまいました。
オーハン国民の厭戦感情も高まっていたため、海軍は国民に人気のある記念艦ラデツキーを艦隊旗艦に復帰させ、イタリアにその主砲を向けました。
レガシーを動かそうとも、オーハン水上打撃部隊が潰滅したことに変わりはありません。
開戦25か月目の1968年9月には戦艦1・軽巡2を残すのみとなりました。
更に、連合国による上陸作戦も始まり、前月8月18日にはアルジェリア上陸作戦が開始されました。まだ若干の戦力があったオーハン水上打撃部隊と今なお準備不足で戦果に乏しい機動部隊が出撃。
やはり水上打撃部隊は大損害を受けましたが、その間に機動部隊で上陸船団を撃滅。戦闘艦にも打撃を与えて何とか退けました。
転機が訪れたのは1969年2月、ここまで劣勢だったオーハン海軍は、国内不安度が7まで上昇している現状を打開するため無制限潜水艦作戦を開始。就役していた27隻のミサイル潜水艦を海に解き放ちました。
彼らは終戦まで、毎月100隻ほどの連合国商船を撃沈し続けるのです。新たなミサイル潜水艦も毎月起工しており、20隻以上の潜水艦がドックに並んでいます。主力艦による作戦が失敗し続けている以上、これしか手はありませんでした。
しかし効果はてき面で、翌月には日本の食料・石油が不足して音を上げ始めました。
また、5月26日にはスペイン機動艦隊を撃滅。ここにきてようやく機動部隊が機能し始めました。
オーハンの活動に焦る連合国は6月8日にコルシカ島上陸作戦を発動。
この戦いではオーハンに残っていた最後の戦艦が撃沈されるも上陸船団は壊滅。連合国機動部隊も空母2隻を失い上陸作戦はまたもや失敗しました。
オーハンにあと一歩のところで有効打を与えられなかった連合国は、日本の無条件降伏によって瓦解。4か国全てが終戦に同意し戦争が終わりました。オーハンの国内不安度は8にまで達していました。
戦争終結までVPは2万点ほど負けていましたが、ブーゲンビルとシエラレオネを獲得しました。
戦後、損耗の激しいオーハン各艦隊は解体され、1つの艦隊として再編されました。また、新型艦を建造するために旧式艦を廃艦し予算の確保に努めました。
すると、なんということでしょう。
オーハン海軍は、戦争前には想像もしていたかった戦力にまで落ち込んでしまいました。
とても苦しい戦争でした。
因みに1970年のゲーム終了時点でのPrestigeは164でした。
第三次地中海戦争
1974年4月~1974年11月
地獄の世界大戦から5年弱。それでも人はいがみ合います。
1973年10月、ヨーロッパの火薬庫バルカンで軍事衝突が発生。緊張度の上がっているイタリアのせいにして一触即発の状況に。
栄華を誇ったオーハン海軍は先の大戦で弱体化。イタリアにすら劣る状況です。ただ、前回の反省として空母航空隊をある程度残していますので、空母はすぐに出撃できます。また、先の大戦で勝利をもぎ取った潜水艦部隊を48隻に拡張しており、いざとなればまた敵を内側から崩壊させることもできます。
【オーハン艦隊編成】
機動部隊群 | 空母4隻、軽巡5隻、駆逐艦34隻 |
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掃海隊群 | ヘリ空母1隻、コルベット多数 |
潜水艦隊 | ミサイル潜水艦48隻 |
空母は4隻しかありませんが、全て80機以上のジェット機を運用可能な大型空母です。質的には強化されています。
戦間期がわずか5年でしたので、ここまでの準備しかできませんでしたが、前回のようにはやられないという自信がありました。
そして、74年4月に恒例の正体不明潜水艦による攻撃イベントが発生。これをするのはイタリアですので直ちに宣戦布告をしました。
今回はイタリアも短期決戦を意識しているのか開戦2か月目にはコルシカへの上陸作戦を開始。オーハン機動部隊が迎え撃ちました。
結果はオーハン海軍の圧勝。上陸船団を殲滅しつつイタリア空母3隻を撃沈しました。航空隊の練度を維持していたオーハン航空隊が大活躍してくれましたね。
7月にはフランスも宣戦してきたので無制限潜水艦作戦を開始。地中海を船の墓場にしてやります。
オーハンの無制限潜水艦作戦に危機感を感じた伊仏同盟は、8月11日にオーハンの喉元ダルマチアへの上陸作戦を開始。
空母6隻を基幹とする上陸部隊をアドリア海に送り込んできましたが、またしてもオーハンの大勝。伊仏の空母5隻が海の底へと消えました。
それでもめげない伊仏同盟は9月29日にダルマチアへの上陸作戦を再度発動。
敵は空母4隻を差し向けてきましたが2隻を失い何の戦果も得られませんでした。
それでも伊仏同盟はあがきます。10月18日にサルディーニャへの上陸作戦を開始。
連戦となり流石のオーハン機動部隊も空母4隻全てを投入することができず、伊仏側は豊富な前衛部隊を前に出してきましたが、何とかいなして上陸船団を破壊。しかし、オーハンも空母1隻を失ってしまいました。
四度もの上陸作戦に失敗し国内で物資が不足していた伊仏は仲の良いスペインに仲介してもらい終戦。
オーハンも先の大戦のような総力戦はごめんだったので和平に同意しました。
第四次地中海戦争
1979年7月~1980年7月
まだまだ地中海に平和は訪れません。きっかけはロドス島でした。
1975年9月、ロドス島の政権不安にイタリアが介入。オーハンにとって長年の友好国だったので援助してあげたかったですが、海軍の弱体化により強硬に動くわけにもいかず、多国籍軍の派遣を働きかけました。しかし、イタリアはそれを無視してロドス島を占領。
次の火種はこうして誕生し、平和は5年も続きませんでした。
【オーハン艦隊 1979年】
機動部隊群 | 空母5隻、巡洋艦4隻、駆逐艦25隻 |
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突撃戦隊群 | 巡洋艦1隻・駆逐艦14隻 |
掃海隊群 | ヘリ母艦3隻、コルベット23隻 |
植民地警備隊 | 軽空母1隻・コルベット9隻 |
潜水艦隊 | ミサイル潜水艦40隻 |
イタリアは宣戦布告と同時にリビアに奇襲上陸。
オーハンの機動部隊は1月14日にリビアの陸軍支援に出撃。機動部隊戦が起こりましたがまたまたオーハンが勝利しました。
3月19日の海戦でもオーハンは勝利。いつの間にか仏ソ日にも宣戦布告されましたので、無制限潜水艦作戦を開始しました。海の狼たちは毎月100隻以上の商船を撃沈することでしょう。
開戦1年後には連合国は空母を投入することもできず、イタリアの戦艦が沈没。
連合国は戦意を喪失し、戦争は1年で終わりました。
第五次地中海戦争
1986年10月~1987年9月
伊仏の度重なる挑発やそれを撃退できる海軍の実力を目の当たりにしたオーハン国内では、ナショナリストが伊仏に対して確固たるイニシアティブを獲るため、海軍強化用の資金の獲得に邁進。
軍備を拡張しながらも開戦2年前から戦闘準備を可能とするだけの資金が海軍に流れました。
【オーハン艦隊編成】
機動部隊群α | 空母3隻、軽巡3隻、駆逐艦18隻 |
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機動部隊群β | 空母3隻、軽巡3隻、駆逐艦18隻 |
突撃戦隊 | 軽巡7隻、駆逐艦13隻 |
掃海隊群 | ヘリ母艦3隻、コルベット多数 |
潜水艦隊 | ミサイル潜水艦36隻 |
これにより、オーハン海軍はこれまで長い間劣勢だった巡洋艦戦力を拡充し、その戦力は伊仏連合を超えるまでになりました。
オーハン海軍はかつての栄華を取り戻すに至ったのです。
巡洋艦戦力を整えたオーハン海軍は連戦連勝。
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雨あられと降り注ぐオーハンのミサイルの前に伊仏の水上艦隊は壊滅。
空母戦が起こる前に終戦となりました。
まとめ
このプレイで戦間期が10年以上も続いたのは、一番初めのスペイン戦とイタリア戦の間だけで、100年間に14回も戦争をしていました。交戦国に偏りはありましたが、一応ドイツ以外の国と戦争状態になりました。
地中海には4か国も国が存在しているので戦争になりやすく、的確に軍備を増強しないと地獄の世界大戦の様に痛い目に遭うので、最後まで勝つか負けるか分からない面白い内容でした。
日本プレイだと史実とは異なり、好き勝手できてしまうし敵が弱いのですぐ別のセーブデータをしてしまいますが、オーハンプレイの場合は伊仏が束になってくると強いですし、イギリスも強いですし、やりごたえがありましたね。
最終的なPrestigeは211まで上昇し、ゲーム終了時点での総トン数は世界第5位、経済力は世界第3位で、オーハンは世界有数の国家に成長しました。
目標としていた世界的覇権国家と宣っても過言ではないでしょう。
最後の戦争から2年ほどは艦隊整備とプレステージ獲得に邁進。ドイツとの関係がイエローになったところで1990年を迎えました。
【1990年オーハン艦隊編成】
艦隊総旗艦 | 戦艦ラデツキー |
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突撃戦隊 | 駆逐艦13隻 |
機動部隊群α | 空母3隻・巡洋艦6隻・駆逐艦24隻 |
機動部隊群β | 空母3隻・巡洋艦6隻・駆逐艦24隻 |
植民地警備隊群 | 軽空母3隻・駆逐艦3隻・コルベット4隻 |
護衛隊群 | ヘリ母艦3隻・コルベット26隻 |
潜水艦隊 | ミサイル潜水艦30隻 |
最後の回で40年戦争期間に建造した艦艇の画像を投稿して終了とします。
ここまで見ていただいた方、ありがとうございました。