Rule The Waves3 オーハン海軍奮闘記

【Rule The Waves 3】オーハン海軍奮闘記 第11回

欧州大戦均衡崩れる

開戦から15か月目の1930年6月から再開です。

各国海軍一覧を見ると、独墺と英仏の戦艦比は18:19となり主力艦数が拮抗しています。この1年余り、独墺が海戦において戦術的に勝利し続けていましたが、これでようやくイーブンになりました。

これからも勝ち続ければ英仏艦隊は独墺を止められなくなりますが、独墺も大敗1つあるだけで再び現存艦隊主義に走らざるを得ません。

また、有力な戦力を保っているイギリス艦隊は定期的に北欧・地中海・インド洋を行き来しています。

インド洋にはオーハンのインド洋派遣艦隊がいるため、上陸戦を展開可能な戦力が常時配置されている状況です。イギリスとしてはそれを無視できないのでしょう。そのため、定期的に海上封鎖されては海上封鎖をする一進一退の攻防が続いています。

現在、オーハン海軍は積極的な戦術を採用できるようになったため士気は旺盛ですので、近々一石を投じたいところです。

チュニジア決戦(第三次チュニス湾海戦)

1930年10月6日早朝、2回目となるチュニジア上陸作戦が発動。

オーハン海軍は上陸船団の護衛として第1から第3艦隊を総動員しています。

夜明けとともに敵艦隊を発見。なんと前衛艦隊と本体の間にいます。挟み撃ちの好機です。空母を発見できていませんので、航空隊はこの艦隊に送り込みます。

早速巡戦Lissaが被雷し戦線を離脱しましたが、敵戦艦は5隻でこちらがまだ優勢です。上陸船団が近海を航行していますので、敵を引き離すように艦隊を動かします。そして第1次攻撃隊が到着しました。

結果は魚雷多数命中!

艦隊を突撃させます。瞬く間に前方3隻の敵戦艦を沈黙させました。残るは巡戦2隻ですが、うち1隻も停船し、戦艦部隊を蹴散らしました。

しかし、ここで空母部隊に敵機来襲。空母Gertyに魚雷が命中しました。少し前に空母を発見しており、その艦載機だと思われます。Gertyには退却を指示します。

戦艦部隊は敵の機動部隊を捜索。

するとチュニス港付近に軽空母を発見。海軍ドクトリンの見直しを迫ったSlavonien艦長に攻撃を指示しました。しかし敵機雷に当たり戦線離脱を余儀なくされました。

後を任された重巡Klagenfurtが敵軽空母を処理しましたが、港内に逃げられていたため、撃沈には時間を要しました。

その間にも敵の航空攻撃は後を絶ちません。空母・戦艦が次々に被雷していきます。どこかに別の空母がいるはずですが、ここで索敵機から敵空母発見の報告が。

敵空母はチュニジア沖ではなくシチリア沖です。

いやよう分らんところにおるな。どうりで見つけられなかったわけです。攻撃隊をこの空母に向かわせます。

その後、魚雷の命中報告がありましたが、日が沈んだのでそれ以上の追撃はできませんでした。

一方こちらはシチリア島西海岸。生き残りの敵巡戦が上陸船団に近づく気配があったので第1戦隊が応戦。逃げる敵を追ってシチリアまで来ましたが、主砲弾がもうありません。既に前2隻は残弾0で、後ろ2隻も残りわずかです。

自慢の16インチ砲をもってしても敵巡戦を戦闘不能にすることができず、副砲と魚雷で応戦。

完全に日が沈んでも敵巡戦は沈まず、19時を回ったところでようやく機関が停止しました。

戦闘の結果、オーハンは空母1隻を喪失した一方で、英仏連合艦隊は戦艦5・空母2隻などを喪失し、オーハンの圧勝となりました。しかし、英仏艦隊はオーハン上陸部隊の接岸を阻止したため、戦略的には英仏の勝利となりました。

それにしてもこの戦艦はしぶとかったです。ログを見てみると追い打ちをかけ続けたおかげで浸水が広がり、ズブズブ沈んだようですね。

そしていつの間にか沈めていた敵の空母。どうも朝から空襲を受けていたようですが、有効打となったのは16時過ぎの攻撃。爆弾と魚雷が命中し火災が発生。ダメコンで奮戦するも消化に失敗して放棄されたようです。思わぬ戦果です。

あとSlavonienが追いかけていた軽空母ですが、どうも空襲で2発被弾し、それが次々引火して沈んだようです。砲撃戦は関係なかったですね()。

とにかく、戦略的目標を達成することはできませんでしたが、これで均衡は崩れました。

フランス海軍の凋落は火を見るより明らかです。先の海戦で多くの艦を失い、スペインよりも弱小になってしまいました。

独墺対英仏の戦艦比は16:12と独墺が逆転。

ここからはより優勢に戦いを進めることができるでしょう。

完全勝利に向けて

年が明けて1931年3月、英仏から和平の提案が来ました。先の海戦から立ち直れていない英仏海軍は、優勢な戦力を地中海に差し向けても海戦をしようとしません。

英仏にその気が無くても、こちらにはあります。勝利点も6万以上の差があり、独墺が認めるのは全面降伏以外ありませんので、提案は突っぱねます。

しかし、それが彼らに力を振り絞らせたようで、北欧の海戦でドイツ戦艦が3隻も撃沈されました。(ちょっとドイツさん?)

フランスはともかく、イギリスはまだ十分な規模の海軍戦力を保持しています。この海戦であらためて思い知らされましたが、まだ番狂わせは起こるのです。

我が方の優勢を確固たるものとしなければならないと感じたオーハンは、新たな上陸作戦を企図。ただ、今回上陸するのはチュニジアではありません。

1931年4月、オーハンはイギリス海軍がインド洋に進出した頃合いを見計らってエジプトへの上陸作戦を開始。

エジプトはイギリスの重要な根拠地であるばかりでなく、地中海国家にとっても重要な根拠地です。地中海からインド洋に出るにはスエズ運河を使うのが1番ですが、それはエジプトを領有する国家のさじ加減一つです。

現に、イギリスがインド洋に出るのに1か月もかかりませんが、オーハンは数か月を要しています。この時間の差は戦争をするうえで大変貴重であり価値があります。

それを生み出しているエジプトが侵略されているとなれば、イギリスは艦隊決戦をせざるを得ません。オーハンにとってエジプト近海にはリビアがあることから、イギリスに対して不利な地理条件でもなく、英艦隊を誘引し撃滅することは十分可能であると、オーハン海軍は考えたのです。

加えて、1931年7月にはジブチへの侵攻作戦を開始。ジブチは紅海の出口をおさえる要所であり、オーハン領エリトリアと接しています。これまでは英仏艦隊を前に自重を強いられてきましたが、エジプト侵攻と合わせてエリトリアのオーハン陸軍と共に行動を開始したのです。

海からの上陸部隊には功労艦のAdria級装甲巡が護衛を務めました。

更に、フランスで食糧不足が発生。

オーハン海軍は開戦からこの方旧式の防護巡洋艦と潜水艦を通商破壊に駆り出しています。調子のいい月は20隻以上の輸送船を沈め、その結果フランスでは食糧不足が発生しています。開戦から2年以上が経ちようやくその効果が表れてきたのです。

英仏に残された時間はあまり長くありません。

Curzola海戦(本土防衛戦)

1931年9月5日、オーハン海軍内は騒然としました。イギリス艦隊がオトラント海峡を突破しオーハン本国に迫っているというのです。

このままではオーハン本土が艦砲射撃にさらされます。この攻撃が成功してしまえば、本土攻撃を許した現政権は国民からの信頼を失い、国内の統制がゆるみ最悪民族問題まで再燃しかねません。

まさに緊急事態です。

オーハン第1艦隊の即応艦が直ちに出撃。ただし、新型のBabenberg級はいません。

敵戦艦は3隻です。確かにエジプトに関心が集まっていたけど、アドリア海に到達するまで発見できないとかただじゃ済みませんよ?カイザーになんと弁明すればいいんですか。

艦隊総司令自らが死守命令を出し砲戦を続けていると、敵艦の1隻が艦隊から落伍。しかし、こちらも1隻が速力低下を起こしました。互角の戦いです。

そのまま日没後も砲戦を継続。遂に弾が無くなりましたが、オーハン艦隊は何とか敵戦艦1隻を停船させました。

イギリス艦隊が退却していきます。オーハンも旗艦ラデツキーが大破状態なので艦隊を帰還させます。

海戦の結果、オーハン海軍はイギリス戦艦を2隻撃沈していました。

イギリス戦艦マジェスティックは、午前中に戦線から離脱していましたが、老朽化のため浸水を止められず沈没したみたいです。16インチ砲の被弾は6発ですが、距離を考えると甲板に命中したのかな?この水平防御ならぶち抜けるので、中がズタズタになっていたのでしょう。

オーハン海軍首脳部は滝のような冷や汗をかきましたが、イギリス艦隊の撃退に成功。イギリスの思惑を推察すると、劣勢な戦況を本土への攻撃で覆そうとしたのでしょう。もう何年も戦争が続いています。この攻撃が成功していれば、政府もカイザーも国民の厭戦気分を抑えられたかどうか分かりません。

後日、この戦いは欧州大戦において、イギリスがオーハンに対して最も衝撃を与えた作戦と評され、先頭に立って本土を守り抜いた戦艦Radetzkyの武勇がオーハン国民の間で語り継がれることとなります。

新時代の幕開け

1931年10月、カウンター作戦の失敗によって勢いを失ったイギリス艦隊は、ドイツによる本国の海上封鎖を解くため地中海から離脱。援軍を失ったエジプトのイギリス軍は敗北し、オーハンがエジプトの新たな領主となりました。

2か月後の1931年12月、欧州大戦が勃発して3年にしてフランスで革命が発生。共産主義政権が実権を握り独墺連合に無条件降伏しました。イギリスも単独で戦争をするだけの余力は無く、これにて欧州大戦は終結しました。

交渉の結果、オーハンはチュニジア・アルジェリア・ジブチ・マルタ・ザンジバル・ビルマを獲得。ドイツは南太平洋の島嶼群を獲得しました。

世界に覇を唱えていた英仏同盟は解体され両国は失墜。この戦争では中規模国家に過ぎなかったオーハンが勝利したため、世界のパワーバランスが崩壊。新しい時代の幕開けとなったのです。

しかしながら、新時代という響きに反して、その中身は群雄割拠の戦争はびこる戦国時代となっていくのでした。。。

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